京都

父親の一周忌の為、京都に帰る。

少し時間もあったので、周辺をぶらついてみる。

落ち着いた街並み。

住んでいるときは特に当たり前だと思っていたが、離れて暮らす今、やはりこの街の空気が好きなんだなと気付く。
円山公園ではしっとりとしたアコースティックギターの音色が、落ち着いた空間に色を添えている。決してうるさくなく風景と調和のとれたその音色は、きっと演奏者もこの空間が好きなのだろうと聴く人に感じさせるものだった。

たまには観光地にも行こう(?)ということで、清水寺にまで足を運ぶ。

所謂「清水の舞台」ってやつ。

紅葉にはまだ早かったが、シーズンに入ればさらに美しい風景が見れるのは言うまでもない。

 本当に綺麗だ。

そして陽も傾いてきた頃には虹がかかる。
いい“おもてなし”をしてもらっている。お天道さんに感謝。

その後大阪にも足を運ぶ。
NGKの前では吉本の方がパフォーマンスで楽しませる。
本当に全力でエンターテイメントをやっている。見習わなきゃ。

何故か新世界ではキン肉マンがやたらクローズアップされている。

そして
新世界といえばこの風景。
このごちゃごちゃ感がいいですな。


最後に嵐山に行く。

本当によく晴れてくれた。
 いつも走っていた嵐山周辺。
今年は台風でひどい目にあっていたが、すっかり元通りに戻っていた。

いつもナウシカの王蟲に見える。

こちらでは三味線の音色が響く。
尺八の時もあるが、どちらも風景と見事に調和している。


いつも見ていた風景。


そして、いつも走っていたランニングコース。
練習生になる前も、メキシコから帰ってきてからも、
膝を手術したあとも、辛い時も悲しい時も。

ずっと走ってきた道。

石のベンチが根元から折れている。
観光地ではないこの場所では傷跡は未だ癒えない。

それでもいい時間が過ごせた。
本当にいろんなものに感謝。

アメとムチ

世界中の管理者が伝統的に行なっている「成功に対する報酬」というシステム。

実はこれが仕事の能率を著しく下げているという話。
単純作業などでは効果はあるそうだが、認知能力を必要とする仕事ではほぼ確実に能率を下げているらしい。で、能率を上げるためにはスタッフに自由な時間を与え、自主性を尊重することが大事だとか。
アメとムチの外的なモチベーションよりも、自主性からくる内的なモチベーションの方が、仕事の能率を上げスタッフの成長にもつながる。
要は信頼関係が大事ってことなのかな。

まあ、難しそうだね。。。

やなせたかし先生 死去

アンパンマンの作者で知られるやなせたかし先生が亡くなられた。

その代表作である【アンパンマン】は、やなせ先生の哲学が込められたヒーローだと思う。

「本当の正義とは困っている人を助け、飢えている人にパンを差し出す事」というのは、戦争を経験しているからこその言葉なのでしょう。

僕自身も貧しい家庭に育っているから、飢えることの苦しさや惨めさは良く解ります。

そんな僕から見ても、アンパンマンはやはり素晴らしいヒーローです。


追悼の意も込めて描いてみました。

やなしたかし先生、ありがとうございました。

“気付き”とは?

よく気付きという言葉が出てくる。

「皆、気付ける人間になろう!」みたいな。
でも「気付き」という言葉は何か違和感がある。
なぜなら人には「気付く、気付かない」以上に「見える、見えないという『変えようがない決定的な差』があるように思うからだ。

“気付き”という言葉を使っている人には「努力すれば誰でも気付けるようになる」という意味を含んで発言しているように感じるのだが、そんな事は無い。まず無い。

万有引力はニュートンが生まれる前から“存在”していたはずだが、誰も“発見”しなかった。すぐそばにあるはずなのに。気付かなかったのだ。

要は「気付かない奴はどうやっても気付かない」というのが結論。

例えれば、数ある可能性を順序建てて処理するのがノイマン型コンピューターの認知プロセスだが、人の脳は非ノイマン型で類推や並列分散処理ができる。そこから“ひらめき”や“直感”が生まれ、危機管理やイノベーション等や“気付き”にもつながる。

スティーブ・ジョブズも「イノベーションというのは、1000の可能性に『ノー』ということだ」などと言っているらしい。これはノイマン型とは違う認知プロセスだと思う。

で、「努力して課題を克服する」という発想はノイマン型的なプロセスであり、直感を磨くということにはならない。

企業とかはカリキュラムにしたり報告書にまとめる時に構成が楽だから、ノイマン型のプロセスを後生大事にしているけどね。


さて、ニュートンは物事の“本質”みたいなものが見えていたのでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20090409/1239215281

ヤフー知恵袋からも面白い話。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1290402742

ラクガキ

なんか思いつきで描いてみた。

万年筆

どうもボールペンってのが苦手で、ただでさえ汚い字がさらに汚くなります。
あのボールを転がして書く独特の感触。
あれが線を引くとき、なんとも不安定な感じがしてしまうんですよね。

やっぱり紙とペンが擦れる感触がないとダメですね。

というわけで蔵前まで万年筆を買いに行く。
ココ→ http://www.kakimori.com/

基本的に描きやすさで決めるので安いものに落ち着く。

お店の人も感じの良い方で、ペンの手入れなどを詳しく説明してくれます。
皆さんのお手元にも一ついかがですか?

イラスト 【ハロウィン】

なんだかんだでハロウィンってなんなのかよく解ってなかったりする。

イラスト 【エイリアン&プレデター】

デフォルメに挑戦って感じで描いてみた。

デフォルメでもいい感じ。


線画だけでも悪くない。

動画

知り合いが動画を撮っていたらしい。

って、やられとるトコだけやないかッ!!

しかし、ええビンタやで。

B-168 黒田哲広デビュー20周年興行

大阪の城東区民センターで行われた168(イロハ)興行に行ってきました。

今回は橋本和樹(大日本)、ヤス久保田、俺VS藤澤忠伸、内田祥一、前田大の6人タッグマッチ。

最初に橋本選手と内田選手のバチバチを見せられて、ついついこっちも藤澤選手相手にバチバチやってしまう。

で、結果やられてしまうw
吊るされて顔蹴られるわ・・・

 長々と持ち上げられて投げられるわ・・

でもソバットでやり返したりもしてる。

試合後に大日本の社長の登坂さんに「もっと自分の出来ることをしたほうがいい」とアドバイスをもらいました。

・・・まだまだ課題は多いね。

その後、大日本の興行でセコンドに。

蛍光灯デスマッチのセコンドは初めてだったけど、危ない危ないw
しかし、不思議とこういうデスマッチではしゃいでる乗のって若い女性だったりする。
私生活で何かあるのかなw

そして試合後の片付けの手際の良さにびっくりw
蛍光灯デスマッチのノウハウがちゃんとあるんだなぁとしみじみ。。

世界中でも大日本ぐらいだろうけどw

試合後は打ち上げ。

黒田哲広選手、田中将斗選手、マンモス佐々木選手、神威選手他、出場選手と168の皆さんでもつ鍋パーティー(?)

168さんからも「三尾選手にはもっと大阪に来て欲しい」と言って頂きました。
また行きます!ヨロシクです!

街をぶらつく時間はなかったけど、本当に楽しい大阪大会でした。


さて、帰りは車で移動。

後部座席でウトウトしていると「パーキングでーす」というので、休憩かと思い外を見ると、どう見ても街中のローソン。。。

何事かと聞くと、どうやらカーナビの設定がわからず、一般道を走り続けていたらしい。
出発して2時間経っているんですけど。。

その後なんとか設定し直し、無事に高速に乗り東京へ。
長い一日だった。。

ヒッグス粒子 ノーベル賞!

2013年のノーベル物理学賞に『ヒッグス粒子』で知られるピーター・ヒッグスさんに贈られる事となった。

「素粒子の最後のピース」等とも言われ、物質に“重さ”を持たせる働きがあると考えられているらしい。これが、同じくノーベル賞に輝いた『自発的対称性の破れ』を引き起こし、それゆえにこの宇宙は現在の形になっているということだ。

さて、話は変わるが、自分の中で本当に正しいと思っているルールは一つだけ。
それは“宇宙の法則”だ。

そこには「形」等のデザインもあれば、生き物の社会構造まで様々ある。

人間の考える法律等の“正しさ”は、あくまで便宜的なものであり、その中身は人の「都合」だと思う。
人間が考えるルールが、絶対的な“正しさ”と考えるのは、驕り以外の何物でもない。
そう思う。

絵を描いているといつも感じるのは「良いデザインだなと思うものは、突き詰めると悉く自然に由来するものだ」ということ。

動物、植物、木、海。
黄金比、フラクタル、フィボナッチ数列、ゆらぎ。。

【美しい】という主観的なものでさえ、宇宙のルールに支配されている。
そう考えるとワクワクしてしまう。そして、知りたくなる。

宇宙のルールを。もっと。


古今東西の超人的な天才たちが、その一生をかけて、宇宙の謎の片鱗を少しずつ解き明かして来ている。
その努力や情熱には感服するあまりだ。

僕が生きている間には宇宙の謎の全てが解けるということはまず無いだろうが、未来の天才たちにも是非この志を受け継いで頂きたい。

“知る”という行為は、ほかの動物にはない人間だけの本能のようにすら感じる。
世界の成り立ちを知ろうとする行為は、最早、人の営みなのかもしれない。

神の命令に背いて手に入れた知識の樹の実。そこで手に入れた“知る”という行為が、少しずつ『神』の掟を理解しつつある。

いつか神に会える日が来るのだろう。

未来が楽しみだ。

不当な差別を受ける人

「大げさなタイトルだ」と思うかもしれない。
でも、当事者からすると切実な話なのだ。


内向的だったりネガティブな人というのは、社会から不当な差別を受け、人格を否定され、尊厳を踏みにじられているのだ。

動画にもある通り、『内向的』、あるいは『ネガティブ』な人には、社会や人類にとって多くのメリットがある。


では、なぜそれらが社会的に差別を受けるのか。
差別には『優劣の固定化』を図るものと『恐れ』からくるものがあると思う。
内向的な人への差別は後者の恐れから始まるものだと推測する。

人は自分が理解できないものに対して恐怖を抱く。
皆が手の内、腹の中を見せ合っている中で、一人だけ見せないものがいれば、当然周りは警戒するだろう。

そして自分が理解できないものが何かしらの“正しさ”を生み出しているとしたら、自分は「正しさを理解できない者」として社会からはみ出す側になってしまうかもしれない。

そんな感情もあって差別が生まれているのではないか?


さて、ほかにも差別を受けているものがある。
それは『はみだしもの』だ。

皆が決めたルールや方針からはみ出し、独自の道を行く人間。
面と向かって他人を罵倒しない奥ゆかしい人からは、皮肉を持って「自由な生き方をされていて良いですね」と言われているその人達だ。

なぜ彼らは社会から不当な扱いを受けるのか?
「ルール守んないからじゃん」と思った方、多分正解。

しかし、自然界にはそう言った『はみだしもの』が少なからず存在し、それが重要な役割を担っていたりするのだ。
例を挙げるなら、蟻の行列などで列からはみ出してあらぬ方向に行く者がいる。
その蟻は、餌場へ餌を取りに行きながらも別の餌場を探しているのだそうだ。

つまり、はみ出し者の存在は現状の答えやルールでは対応できない“不測の事態”(餌場の餌が無くなる等)への備えであり、しかもそれらが誰かの命令を受けてではなく、自然発生的に行われているのだ。

これは上司や部下という概念(命令系統)が無い並列化された社会だからできるのだろう。

打って変わって人間社会ではそうはいかない。
行列からはみ出したら“リーダー”から「列を乱すな」と言われ、それでもはみ出そうものなら「二度と戻ってくるな」と群れに合流できなくなるだろう。
もし“はみだしもの”の存在を認めると“管理者”としての評価を下げるからだ。

そして『社会の並列化』に抵抗がうまれるのは「利権」や「保身」等の関係もあると思う。

まず蟻の行列に例えると、餌場を最初に見つけた奴はそれが“手柄”であり、はみ出しものが新しい餌場を見つけると、その手柄が失われる。手柄によって手に入れた地位と名誉も一緒にだ。

さらには自然界にあるような並列化された社会ではヒエラルキーが生まれにくく、上に立つことで得られる“利権”も手に入らない。

そういう社会が一般化してしまう事で一番損をしてしまうのが、今現在上司の立場で甘い汁を吸っている人たちだ。

当然潰しに来る。
意識的にせよ無意識的にせよだ。

社会的地位もあるから力もある。
孤立している“はみだしもの”にはなすすべもなく、社会から抹殺される。

だから不当な差別は“差別”というレッテルすら貼られず、平然とまかり通る。
おそらく差別している側もそうだと気づかないぐらいに。

世の中の“落ちこぼれ”達のいくらかは、こういった人達なのだろう。

強く生きて欲しい。。。