“読書は脳をどのように変えるのか?”と題打たれたこの本を読んだ感想を。
まず、そもそも“読む”とはなんぞや?“文字”や“言葉”とはなんぞや?というところから考えてみたい。
言葉や文字というものの発明は人類における最大の発明と言って良いだろう。
言葉により、数や物、思考や感情などあらゆるものが概念としての輪郭を持ち、他社との共有、外部(人間の脳の外)への移行とそれによる記録やある種の並行世界(フィクションの世界)の創造をも生み出している。またそれぞれの概念や言葉が別の概念や言葉との相互作用により、新たな概念を作り出したりすることもある。それはある種のルールに沿って意味を獲得し、複雑で多様な概念を表現できる代物だ。
文字の成り立ちには何通りかあるらしく、「話し言葉」の“音”を文字で表し、それを読む(擬似的に聞いている)ことで意味を伝えるものと、「物」そのものを表してる文字(漢字など)に話し言葉の音を当てはめて出来ているものと大きく分けると、この2つらしい。 ちなみに日本語は音を表す“かな”とモノを表す“漢字”の両方がある珍しい言語だ。
そしてこの違いは、文字を読む際に必要となってくるスキルにも関係してくる。
音を表す文字(アルファベット)を読む時は、文字から音を連想させ、それを話し言葉に当てはめて実際の“モノ”を連想することができる。
一方、物を表す文字を読むときは、その文字が表している物をそのまま連想すればいいのだが、物以外に同時に音を表している場合も有り、さらに前後の文字との関連で個別の文字とは違う意味を持つ場合もある。これらを読み取る為に特別な認知ストラテジーを脳に組み込まなければならないのだそうだ。
何か大変な話だが、我々はこの能力をいつの間にか獲得しているのだ。
“獲得”と書いたのには理由があって、実は“文字を読む”という行為は遺伝子には何ら組み込まれていない能力なのだそうだ。
要は訓練して初めて読書ができるようになるわけだね。
我々は文字を読めるおかげで、いろんな創作物を楽しむことができる。
それは物語の主人公と同じ時間を過ごし、同じ経験をして、そこで生まれる思考や感情を共有する事だ。
また、自分では知りえない知識や、到底及ばない才能に触れることができる事でもある。 改めて読字とは素晴らしい能力だと思う。
しかし、世の中には読字障害というのがあり、それについても詳しく書いてあった。
原因としては、先に述べた認知ストラテジーが上手く働かなかったり、情報の処理速度が遅かったり等様々だそうだ。
基本的には左脳が上手く使えず、右脳に負担がかかりすぎているらしい。
そのためもあるのか、読字障害を持った人には芸術的な才能が開花する場合もあるそうだ。。
最後に、デジタルネイティブの読字能力は如何に?ってとこ。
かつて文字が発明された頃、ソクラテスが懸念したのは「書かれた文字を自分の知識と勘違いして、自ら思考する能力が失われること」だったそうな。
幸い、文字は人の思考を飛躍的に進歩させた(と思う)が、今現在のネット社会はどうだろう。 大事な論文がコピペだったり、口を開けば誰かの受け売りばっかりだったり。。。 自分で考えて自分の言葉で話す人が少なくなってきているのでは?と思うのは、私が歳をとったせいなのかな?
長くなったけど、結論としては「この本は面白い!」ってことで、以上!