純粋○○

サイモン・シン著 フェルマーの最終定理を読み終える。

面白いね、これ。

さて、この定理、数学に明るい人間じゃなければ「何の役に立つの?」って感じだけど、こういった難しい難問を解くために編み出されたテクニックが、あらゆる分野で役に立つのだそうだ。

ところで、フェルマーはアマチュアの数学者だったそうで、本職は弁護士。
数学においては様々な業績があるが、あくまで余暇に嗜んでいた趣味だったみたい。

しかし、何かを極めんとするには、お金や名誉と言ったものの為ではなく、純粋にその事について取り組むことが大事なのではないか?

何かの評価を意識すると、対象を「評価」に照らし合わせて観察することになり、「対象」そのものを純粋に観察できなくなる気がする。
少し変わった『観察者効果』みたいな感じかな?

思えば、お金や名誉のためではなく、一つの道に邁進した人は多い。

例えば、2代目桂枝雀も笑いの理論について考えを巡らせていたのは”笑いをとる為”でも”人気者になる為”でもなく、純粋に笑いとは何かを追い求めたのではないだろうか?

絵描きだと、伊藤若冲などはお金の為などでは無く、大作『動植綵絵』を描いていたし。

周りから理解されない道を行くのは、相当な労力だと思うけど、きっと彼らはそういう性分なのだろうね。

数とリズム

ピュタゴラスは心地の良い和音は簡単な数比によって作られる事を発見したそうな。
キッカケは鍛冶屋のハンマーの音。

美しい和音はハンマーの重さが一つのハンマーに対しもう一つが2分の1や3分の2等、簡単な数比の場合の時に出来るとの事。

音楽などは、正解を教わらずとも「良いもの」とそうでないものが解る。
おそらく、音楽に代表される”リズム”には、何かしらの法則があると個人的には考えている。
緊張と緩和理論でも緊と緩のリズムがフラクタルのように何次元かに重なっているって言っていたし、音楽にも音とメロディーという次元の違うリズムがあるから、それらを正解のリズムに導く法則が何かしらあると思う。



そんな中何気なくπについて検索していたら、こんなのが出てきた。

πを音楽として弾いてみたそうだ。

昔、ガウスが素数を階段に例えてその並びを体感しようとしていたけど、音楽にするっていうのも感覚的にとらえるには良い手段かも知れないね。

素数の並びとフラクタルって何か関係してないのかな?