サイモン・シン著 フェルマーの最終定理を読み終える。
面白いね、これ。
さて、この定理、数学に明るい人間じゃなければ「何の役に立つの?」って感じだけど、こういった難しい難問を解くために編み出されたテクニックが、あらゆる分野で役に立つのだそうだ。
ところで、フェルマーはアマチュアの数学者だったそうで、本職は弁護士。
数学においては様々な業績があるが、あくまで余暇に嗜んでいた趣味だったみたい。
しかし、何かを極めんとするには、お金や名誉と言ったものの為ではなく、純粋にその事について取り組むことが大事なのではないか?
何かの評価を意識すると、対象を「評価」に照らし合わせて観察することになり、「対象」そのものを純粋に観察できなくなる気がする。
少し変わった『観察者効果』みたいな感じかな?
思えば、お金や名誉のためではなく、一つの道に邁進した人は多い。
例えば、2代目桂枝雀も笑いの理論について考えを巡らせていたのは”笑いをとる為”でも”人気者になる為”でもなく、純粋に笑いとは何かを追い求めたのではないだろうか?
絵描きだと、伊藤若冲などはお金の為などでは無く、大作『動植綵絵』を描いていたし。
周りから理解されない道を行くのは、相当な労力だと思うけど、きっと彼らはそういう性分なのだろうね。
面白いね、これ。
さて、この定理、数学に明るい人間じゃなければ「何の役に立つの?」って感じだけど、こういった難しい難問を解くために編み出されたテクニックが、あらゆる分野で役に立つのだそうだ。
ところで、フェルマーはアマチュアの数学者だったそうで、本職は弁護士。
数学においては様々な業績があるが、あくまで余暇に嗜んでいた趣味だったみたい。
しかし、何かを極めんとするには、お金や名誉と言ったものの為ではなく、純粋にその事について取り組むことが大事なのではないか?
何かの評価を意識すると、対象を「評価」に照らし合わせて観察することになり、「対象」そのものを純粋に観察できなくなる気がする。
少し変わった『観察者効果』みたいな感じかな?
思えば、お金や名誉のためではなく、一つの道に邁進した人は多い。
例えば、2代目桂枝雀も笑いの理論について考えを巡らせていたのは”笑いをとる為”でも”人気者になる為”でもなく、純粋に笑いとは何かを追い求めたのではないだろうか?
絵描きだと、伊藤若冲などはお金の為などでは無く、大作『動植綵絵』を描いていたし。
周りから理解されない道を行くのは、相当な労力だと思うけど、きっと彼らはそういう性分なのだろうね。