イラスト


前描いたやつに色塗ったやつ
3月8日から始まったミュシャ展に早速行ってきた。

今回はミュシャの代名詞であるアールヌーボーのポスター作品ではなく、ミュシャが晩年に描いた大作「スラブ叙事詩」をメインに扱っている。
チェコ以外でこの「スラブ叙事詩」がすべて揃うのは今回が初めてのことだそうだ。



実際に作品を目の当たりにすると、その大きさに驚く。
大きいもので610㎝×810㎝という大きさ。
10メートルほど離れて観て丁度良いくらいだ。

ミュシャの祖国への思いが形になった作品たちだが、やはり芸術作品は”思い”が込められたものの方が力を持っていると改めて実感する。

芸術、芸能は神事とかが起源のものも多いしね。

それにしても、今回買った図録でミュシャの画集は4冊目だ。

絵を描き始めた頃、最初に繰り返し真似して描いていたのがミュシャだった。

あれから全然上手くなった気がしないな。。
適当に描き続けているだけじゃダメなんだね。

純粋○○

サイモン・シン著 フェルマーの最終定理を読み終える。

面白いね、これ。

さて、この定理、数学に明るい人間じゃなければ「何の役に立つの?」って感じだけど、こういった難しい難問を解くために編み出されたテクニックが、あらゆる分野で役に立つのだそうだ。

ところで、フェルマーはアマチュアの数学者だったそうで、本職は弁護士。
数学においては様々な業績があるが、あくまで余暇に嗜んでいた趣味だったみたい。

しかし、何かを極めんとするには、お金や名誉と言ったものの為ではなく、純粋にその事について取り組むことが大事なのではないか?

何かの評価を意識すると、対象を「評価」に照らし合わせて観察することになり、「対象」そのものを純粋に観察できなくなる気がする。
少し変わった『観察者効果』みたいな感じかな?

思えば、お金や名誉のためではなく、一つの道に邁進した人は多い。

例えば、2代目桂枝雀も笑いの理論について考えを巡らせていたのは”笑いをとる為”でも”人気者になる為”でもなく、純粋に笑いとは何かを追い求めたのではないだろうか?

絵描きだと、伊藤若冲などはお金の為などでは無く、大作『動植綵絵』を描いていたし。

周りから理解されない道を行くのは、相当な労力だと思うけど、きっと彼らはそういう性分なのだろうね。

数とリズム

ピュタゴラスは心地の良い和音は簡単な数比によって作られる事を発見したそうな。
キッカケは鍛冶屋のハンマーの音。

美しい和音はハンマーの重さが一つのハンマーに対しもう一つが2分の1や3分の2等、簡単な数比の場合の時に出来るとの事。

音楽などは、正解を教わらずとも「良いもの」とそうでないものが解る。
おそらく、音楽に代表される”リズム”には、何かしらの法則があると個人的には考えている。
緊張と緩和理論でも緊と緩のリズムがフラクタルのように何次元かに重なっているって言っていたし、音楽にも音とメロディーという次元の違うリズムがあるから、それらを正解のリズムに導く法則が何かしらあると思う。



そんな中何気なくπについて検索していたら、こんなのが出てきた。

πを音楽として弾いてみたそうだ。

昔、ガウスが素数を階段に例えてその並びを体感しようとしていたけど、音楽にするっていうのも感覚的にとらえるには良い手段かも知れないね。

素数の並びとフラクタルって何か関係してないのかな?

人工知能と感情

人工知能と人間を比較するとき、人工知能側には身体を持った経験の記憶がないのは、かなりアンフェアだと思う。

それとは別に、人工知能の課題として「感情」の存在がある

緊張と緩和理論では笑いについてしか語られていないが、基本的に人の感情は「ある状態とある状態の間を移行する(ゆらぎ)によって想起される」と考えているので、この理論がより深められれば、感情が生まれる仕組みや正体がわかるのではないかと思う。

で、このゆらぎの”ある状態”というのは、緊張や緩和と言った”温度”のようなもので、それがもう一方に移行するために”時間や距離”が生まれてくる。

もしこの”状態のゆらぎ”が感情の想起を決定づけられるのであれば、このゆらぎのパターンを解析し、再現できれば、コンピューターでも感情を理解した事にはならないだろうか?

勿論「笑いとはこういう状態」と言う事を学習させておいた上でだ。

つまり「こういうパターンの刺激に対して、笑いという状態になる」と言う事を関連付けて記憶させると言う事。

さらに、その感情に共感するようにプログラムを組めば、より高度な人工知能が出来る気がする。

パターンはかなり複雑になるだろうし、認識するスケールも様々だ。
※枝雀さんも緊張と緩和はフラクタルのような構造ととらえていたみたい

難しいだろうが、感情を理解させるためには、感情を想起させる仕組みを覚えさせるもの一つの方法だと思うし、今後の人工知能の研究に期待してみたい。


にしても、つくづく枝雀さんには今の時代を生きてほしかったなぁ。。。

fMRIで客の脳内を観察しながら落語を聞かせて、笑いに向かうまでのパターンとかを分析してほしかった。。

誰かやらないかなぁ。

鬱病

うつ病を語るとき、本人の気の持ちようで治るものではない事と、(自殺によって)死に至る可能性があると言う事がよく言われる。

最近ふと思ったのが、
「鬱は”死に至る病”ではなく”死に至る途中”なのではないか」と言う事。

ライフゲームで例えて言うと、
周りに2~3の生存しているセルがあれば真ん中のセルも生存できる。
1個以下だと死滅。4つ以上にあっても死滅だ。

鬱は周りのセルが4つ以上もしくは1個以下の状態で、真ん中のセルが死滅する環境になった状態とみなす事が出来る。
と言っても、人間はゲームのようにパッと消える事も出来ず、事故や病気などルール外の死滅では意味がない。消えるとしたら自死でしかないのだ。

要は環境によって死滅状態にあるセルがうつ病の人で、鬱状態とは死滅に向かう途中というわけだ。
で、この死滅に向かうセルを生かすためにどうするべきか?
死滅に向かうセルを救うには「環境を変える」か「ルールを変える」以外にないのだ。

自分を変えようというとき、自分の中だけで変わろうとしても難しい。
引っ越したり、仕事を変えたり、友人を変えたり...
お金や周りの評価を気にしていたのをやめ、別の価値観で生きるようにしてみたり。

環境やルールを変えれば、いやでも自分自身も変わる。

そんな風に思ったりします。