生配信を見ながらラクガキ

西原理恵子の人生画力対決めっちゃ面白かった。

今回のゲストは
かわぐちかいじ先生
寺田克也先生
石塚真一先生
以上の三名。

寺田先生は僕が絵に興味を持ったきっかけになった人なので、実際に描いている所が見れてうれしいですね。いい時代だ。
もちろんラクガキングの実力は圧倒的なものがありましたね。
かわぐち先生もベテランならではの安定感は流石でした。

そしてオオトリを務めるのは石塚先生。

ぐでんぐでんに酔っ払った状態で登場してきたと思いきや「寺田先生のエイリアンの絵を見て帰ろうと思った」「今からカラオケ大会にしましょう」などヤムチャ視点トーク全開!

西原先生との絡みでも「全部同じキャラじゃん」といわれて「チョー小栗旬です」と切り返すなど、あのサイバラに負けないトークを展開。

最後も寺田先生から「岳にやられた」と言わしめる、まさに独壇場。
本当に魅力的な方でしたね。

かわぐち先生も最後は酔っ払ってリラックマやドラえもんなどでお茶目な絵を描いていらっしゃいましたねw

本当に楽しい4時間40分でした。

次回も楽しみです。

絵の練習

相変わらずの気持ち悪い絵です。
綺麗な絵も描かなきゃなぁ。

基本的にノープランで描いているので、全体のバランスが悪いですね。
ちゃんと構図決めてから描くようにしないとな。

確定申告

毎年めんどくさいねw
去年は脱税総理で賑わっていたから、確定申告のときに受付の人に小言を言った人もいたのでは?などと思ったりもする。

今はe-tax(イータックス)で申告できるから昔よりは楽なのかな?
といっても僕の場合は申告書をプリントアウトして申告するわけだけど。
さすがに電子証明書とかカードリーダライタまでは・・・

しかし、新しいPCでプリンターがうまく動かない。。。
仕方なく古いPCにデータを転送してそこからプリントするというメンドイ作業をすることに。

ともあれ日本の為に、日本国民のために、政治家の方々には国民の税金を有効に使っていただきたいと思います。

パチンコはねぇ。。

女性も増えているんですね。
くだらないものを流行らせるのは女性を取り込むのが一番なんだろうね。
金使うし。

知り合いがパチンコで月収200万超えていたが、その人はナンダカンダで出る台を知った上でやっていた(詳しくは書けないが)。
※ちなみに10年前ぐらいの話です。

ただでさえ勝つ率が低いはずなのに、その勝っている人が裏で繋がっているとしたら普通の人が勝つ確率はさらに低くなる。
そんなアンフェアなもので、貧しい人が人生を賭けて、税金から出る生活保護費をつぎ込み、破滅していくのはやはり納得できない。
それが犯罪の増加にも繋がるかもしれないと思うと、社会的な害悪はホントに大きいと思う。

やるやつが馬鹿といえばそれまでだが、自分たちが納めた税金をそんな無駄なことに使われないように声を上げるのも有権者の責任じゃないだろうか。
国の将来を考える意味でもね。

2月

温かくなったと思ったら寒くなったり。。。

落書き

朝起きたらなんとなくメカ的なものを描く。
寝起きと眠い時はビックリするぐらい絵が下手だからねw
人物とかは上手くいかないけど、最初からゴチャゴチャしたものを描けば下手でもわからないからね。
人物とかの練習は完全に目が覚めてから。

どの道たいして上手くないけどねw

まんがのこと

あんまり漫画を読まないです。
好きなんですけどね。

子供の頃、親の影響なのか漫画に触れることが殆ど無かった(手塚治虫だけは家にあった)。
だから、友達の家でジャンプを見つけて、そこに描かれているドラゴンボールにはビックリ。なんとTVでやっているDBの先のストーリーが描かれているではないか!

放送前に「来週クリリン死ぬで」等と友達からよくネタバレされたが、まだジャンプの存在を知らない私は「何でそんなことが解るのだ?」と疑問に思ったもんである。

さて、現在の漫画だが、もはや世界に誇れる立派な日本の文化にまでなっているのではないだろうか。
しかしどこか不安も感じる。

それは、ストーリーやデザインが似通っているのでは?ということだ。

ある意味洗練されているともいえるが、この間バンド・デシネを見に行って改めて思ったのは『作者のオリジナリティ』とその“完成度”である。

海外の作家はお国柄もあり、ストーリーの根っこには宗教的な哲学などがあり、それが作品全体にしっかりとした芯を作っているように思う。
これは漫画だけでなく小説や映画にも言える事だ。

絵に関しても外国の作家は、独自の表現を大事にしている向きがあるが(アシスタントをつけない所為もあるかもしれない)、日本の作家は何処か似通った絵が多いような気がする。

勝手な解釈だが、海外の作家はオリジナリティこそが商品価値であると考えているのに対し、日本の作家は商品価値があるとして確立されている物を製作しているといった感じだ。

日本にも多くの才能のある方がいると思うが、流行に流されやすく、人と違うことをしたがらない日本人の国民性というものなのか?(この辺はメビウスも指摘していた)

また、最近の作品を見ていると「あの漫画に影響を受けたのかな?」と思うものも多い。
もちろんこれは悪いことではない。
昔の作家も映画や小説、神話などに影響を受けて漫画にしていただろう。それゆえに重厚なストーリーも作ることが出来たのだろう。

ただ、別のジャンルに影響を受けて漫画に生かすのと、漫画に影響を受けて漫画にするのではかなり違うように思う。
前者はストーリーの構成やシーンの描写など参考にすることになると思うが、後者はそれらを飛び越えて“漫画を作る技術”を参考にするのではないかという点である。

乱暴な言い方をすれば中身の無いシナリオでもそれなりの漫画として成立させる事が出来たり、○○と××と組み合わせて新作を作るといった安易な作品を大量に生産することになりはしないだろうか?

もちろん“漫画を作る技術”というのは大変重要であるが、それで楽な道に進んでしまうのでは折角の才能が勿体無い気がするのだ。

まあ、漫画家さんも生活があるから、ある程度は市場のニーズに応える作品にしなければいけないのだろうけどね。

そういう意味では素人は楽だろう。
誰の目も気にせず自分の表現に徹すればいい。

映画AKIRAの音楽を担当していた芸能山城組も、完全なプロのグループではないが、その理由のひとつとして「プロは表現が制限される」というようなことを言っていた気がする。

なので私は今日ものんびりテキトーな絵を描いて楽しんでいるのである。

長文で説教臭くなったなぁ・・・これも歳の所為か。。。