すずかけフェスタ~西調布~花鳥風月

週末。エキシビションを含め3試合する。

まずは福祉施設でのエキシビション。
リングもないしギャラもないけど、だからこそ張り切ってしまう不思議。

さらに実況と解説、リングアナにレフェリー(女性)までついてる。
豪華なエキシビションだ。


何故かハーモニー君とだるちゃんも入ってきての記念撮影。
いいよね。こういうの。

その日の夜はシーべの興行。

僕はメインのタッグマッチ。
パートナーはベアー福田選手。相手は1年ぶりにリング復帰したアミーゴ鈴木選手と“代表”清水選手。
ブランクのあるアミーゴを攻め、もう一息のところ、清水選手の『クロスアーム式垂直落下ペディグリー』を受け撃沈。。。
観客、関係者の誰しもが「しんだ」と思ったらしい。

でもよかった、生きてる。

後で映像を見ると、ちょっとしたグロ映像でした。

翌日は初の花鳥風月での試合。
こっちはウルトラマンロビンと組んで、ドラゴンユウキ、神楽組と対戦。

ロビンさんの不思議なパワーもあり、見事勝利!

やっぱり正義は勝つのである。




その後、休憩中にチビっ子たちとリングで戯れる。

初めて参戦したけど、とても良い雰囲気の団体だったなぁ。

また機会があれば参戦したいね。

ともあれ、楽しくも疲れた週末でした。

迦陵頻伽

カプセルQで当たったやつ。



迦陵頻伽迦陵頻迦(かりょうびんが)は上半身が人で、下半身が仏教における想像上の生物。サンスクリットのカラヴィンカ(kalaviṅka)の音訳。『阿弥陀経』では、共命鳥とともに極楽浄土に住むとされる。

殻の中にいる時から鳴きだすとされ、その声は非常に美しく、仏の声を形容するのに用いられる。また、日本では美しい芸者花魁(おいらん)、美声の芸妓を指してこの名で呼ぶこともあった。
一般に、迦陵頻伽の描かれた図像は浄土を表現していると理解され、同時に如来の教えを称えることを意図する。中国の仏教壁画などには人頭鳥身で表されるが、日本の仏教美術では、有翼の菩薩形の上半身に鳥の下半身の姿で描かれてきた。敦煌の壁画には舞ったり、音楽を奏でている姿も描かれている。

とのこと。

折角なので描いてみた。


んで、同じような姿の神様は世界中にいる。

「上半身が人で下半身が鳥、歌声が美しい」といえば思いつくのがセイレーン。

“セイレーン
古希ΣειρήνSeirēn)は、ギリシア神話に登場する海の怪物である。複数形はセイレーネス古希ΣειρῆνεςSeirēnes)。上半身が人間女性で、下半身がの姿をしているとされ、海の航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせる。”

後に下半身が魚のバージョンも生まれたりする。
ちなみにデビルマンでお馴染みシレーヌは仏語でセイレーンを指す。

もう一つ思いつくのがハーピー(ハルピュイア)だ。

”ハルピュイアは、ガイアポントスの子タウマースと、オーケアノスの娘エーレクトラーの娘で、の女神イーリスの姉妹である。
黄泉の国の王ハーデースまたはゼウスの手下であり、老婆のような禿鷲羽根の爪を持つ。食欲が旺盛で、食糧を見ると意地汚く貪り食う上、食い散らかした残飯や残った食糧の上に汚物を撒き散らかして去っていくという、この上なく不潔で下品な怪物である。”
酷い言われようである。
虹の女神の姉妹なのに。。。

魅力的なモチーフってのは万国共通なのかね。
神様と化物っていう扱いの違いはあるけど。



中野

中野駅125周年記念イベント『中野にぎわいフェスタ』ってのがあったので、少し覗いてみた。

四季の森公園で食いもん屋や物産の露店が並び、特設ステージではダンス、音楽、お笑いライブなどが行われていた。
さらに「中野マンガ・アートコート」では、漫画制作講座や演劇ワークショップ、声優さんによるミュージカル&お笑いライブ等、いろんな催しが用意されていた。コスプレ撮影会なんかもあったな。

いいね、こういうの。

一通り愉しんだ後、中野ブロードウェイへ。
相変わらず楽しい空間だ。

まんだらけにて画集を購入。
良い買い物した。

あまり行かない4Fへ行くと、アートギャラリーが目に入り覗いていく。
”世界一複雑な折り紙”の神谷哲史さんの作品や、深堀隆介さんの金魚、桑原弘明さんのメランコリア等、TVでも見たことがあるアーティストの作品が並んでいた。以前は漫画家の駕籠真太郎さんの個展なんかも行われていたらしい。
今後、中野に行った時は覗いておこう。

アートギャラリー「リトルハイ」
http://www.little-high.com/

読書

被虐待者のケアをしている精神科医の方の本を読む。

「消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ」と
「子は親を救うために「心の病」になる」の2冊。

被虐待者の特徴としては、まず、親等から虐待された経験から、何でもない日常に対しても大きな不安や恐怖を感じているという事。また、そのストレスの大きさから解離性障害やパニック障害、離人症などの疾患を抱えてるという事。そして、社会的な“存在”の希薄さ、感情や規範の共有が出来ない事等がある。

その特徴は自閉症等と誤解されたりするらしいが、自閉症が先天的な脳の機能障害であるのに対し、被虐待者のそれは後天的に植えつけられたもので、全く異なる。

まず知ってほしいのは、被虐待者は普通の人とは違うルールや価値観の中で生きており、それは大げさじゃなく“住む世界が違う”という事だ。

社会的な価値観を共有していないので、彼らはより根源的な価値観をもとに生きている。
なので彼らはお金や名声、社会的地位など“社会的価値”の上で評価されているものに関心を持てない。その代わり「お腹を空かさず、安心して眠れる」だけで幸福なのだ。子供の頃にそれが無かったから。

人間は親から人としての感情や社会との繋がりを学ぶ。
親が「美味しいね」というから子供は“美味しい”という感情を覚える。

感情は持って生まれたものではなく、親から教わらないと理解できないのだ。

虐待を受けている子供はそういった感情を親から教わらずに育っていることが多い。なので、周りからは「感情がない奴」と言われたりもする。

年を取れば「感情の共有」をどうすれば表せられるかを知識として知っているから、表向きは普通に振る舞える。しかし内面では本当の意味での“共有”は存在しない。

その表向きの振る舞いが多大なストレスとなり、うつなどの精神疾患を抱える。

さて、ここで「普通の人でもそういうことはある」と思った方。
それは間違いだ。

被虐待者は根本的に違う。
PC本体は同じでもインストールされているOSが違うようなもの(だと思う)。

ご飯を食べて「美味しい」といえて、痛いときに「痛い」と言えるなら、あなたは普通の人だ。なぜなら虐待を受けている人は、感覚に感情を絡めて表現することは出来ないことが多いからだ。


話は少しずれるが、うつ病などを「気の持ちよう」でなんとかなると思っている人がいるが、脳の代謝異常が原因の“脳という臓器の病気”であり、それを“気の持ちよう”でコントロールできるんだったら苦労はしない。

それはともかく、こういう本が多くの人に読まれて、世の中を必死で生きている被虐待者に対しての理解が少しでも深まればいいなと思う。


この本を読み終わったあと、新井英樹さんの漫画「ワールドイズマイン」を読む。
今まで何度となく読んできた漫画だ。

作中の“モンちゃん”の描写はまさに被虐待者の振る舞いに似ている。
社会的(人工的)価値観を壊し、根源的な価値で行動するモンちゃんの姿は、世界を破滅に導きつつも受け入れられる。

名作だ。